今更ながら流行りの担降りブログと言う名の自己紹介。
記念すべき初ブログはまず今の自分が作られた源について話しておこうと思う。
当時小学5年生だった私はいつものように母に叩き起こされ眠気眼で朝の某情報番組を見る。そこに出演していたのが今や大人気アイドルグループ嵐の『櫻井翔くん』であった。
翔くんは主演ドラマ「よい子の味方」の番組宣伝のため、某情報番組に出演していた。それを見た私はビビッときた。今までジャニーズという輝かしいアイドルには全くもって興味なかった私がその一瞬で翔くんの虜になったのだ。番組宣伝を見たきっかけでドラマも見るようになり…何より私の今の職業「保育士」になろうと思ったきっかけもこのドラマがあったからなのだ。
それから数ヶ月後の2003年11月。当時バレーボールの少年団に入っていた私はバレーボールをテレビで見るのが大好きでまさに絶賛開催中だったワールドカップバレーを毎日見ていた。そのイメージキャラクターを務めていたのが『NEWS』である。翔くんを知ってからジャニーズに興味を持つようになり我ながらジャニーズを勉強するようになっていた。その勉強のおかげか人気大爆発であった山下智久くんの存在は知っていたので、そこでNEWSが気になり好きになった。彼らは毎日バレーボールの試合の前にイメージソングの「NEWSニッポン」を歌い選手にエールを送り会場に笑顔を振りまいていた。そんな姿に心が動き今度は彼らの虜になった。
翌年2004年のアテネオリンピックバレーボール世界最終予選のスペシャルサポーターもNEWSが務め、そこで歌っていたのが「希望〜Yell〜」である。期間中の5月12日にNEWSはその曲でメジャーデビューを果たした。
毎日テレビではデビュー曲を歌っているまだ初々しいNEWSメンバーの姿が流れ、センターで踊る山下くんまだ一番あどけないが歌唱力のある手越くん長髪で女の子のような笑顔を振りまいて歌う『増田貴久くん』の姿が印象的で今にでも蘇ってくる。
年月が過ぎ、私は中学生になった。学校では当時大人気だったドラマ「野ブタ。をプロデュース」の話で持ちきりになっていた。私が野ブタを見るきっかけになったのも『NEWS』の山下智久くんが出ていたからである。(少年倶楽部を見ていたので亀梨和也くんと中島裕翔くんの存在も知っていた。)所属していた部活内でも毎日ジャニーズの話で持ちきりになりその当時友人に勧められたアイドル誌「Myojo」を読むようになって、よりジャニーズという沼に嵌っていくことになる。
翌年、NEWSのメンバーであった『増田貴久くん』『手越祐也くん』が出演していた「ガチバカ!」が好きでよく見ていた記憶がある。増田くんの弟役で伊野尾慧くんも出ていたのは後々わたしの教科書であった「Myojo」で知ることになる。
今まで『NEWS』を見ていても特に誰が好きとかいう推しは居なかったのだが(強いて言えば山下くん?)、今思えば『増田貴久くん』を好きになったきっかけはこの「ガチバカ!」の存在が大きいのかもしれない。まさに『NEWS担から増田担』になるきっかけだったのだろう。
そうだ私は俗に言う探Q出の山田担なのだ。
当時の山田涼介くんは幼くて長い黒髪で女の子のような顔立ちをしていてこんなにも可愛い子が世の中にいるなんて今まで知らなかった私は後悔をした。そしてそんな彼の虜になった。
その年KAT-TUNがデビューしKAT-TUNのメンバーがMCをしていた「YOUたち」という番組がスタートした。そこに中島裕翔くん、金八先生で見ていた八乙女光くん、ガチバカ!で見ていた伊野尾慧くん、メインではなかったが山田涼介くんも出ていた。
そんな中NEWSはメンバー解雇などの理由からグループ単位での活動を年内いっぱい休止。メンバーはソロやユニットで活動することになった。
その年の2006年12月20日にデビューしたのが『テゴマス』である。斬新なタイトルのデビュー曲「ミソスープ」は当時よく聞いていた。斬新なタイトルだが手越くん増田くんの奏でる心地よいハーモニーに心を打たれ、テゴマスのファンになった。
同年12月30日にNEWSは6人体制でグループ活動を再開することになり、初の東京ドーム公演も果たした。
とにかく私は6人時代のNEWSが好きで、復活ライブのDVDも毎日のように見ていた。
翌年の2007年夏、「探偵学園Q」の連続ドラマが始まった。また山田涼介くんを天草流として見れることに感動をして毎回楽しみにしていた記憶がある。
そして8月1日にはJr.時代からセンターを貫きエースだった中島裕翔くん探偵学園Qをきっかけにブレイクした山田涼介くん子役時代から活躍していた知念侑李くん有岡大貴くんごくせんに出演してから一躍名の知れた高木雄也くんの5人で結成された「Hey!Say!7」がデビューした。この5人でやっていくんだと思っていたら今思えば期間限定だったのだと彼らは語っている。
そのデビューがとても嬉しくわたしは発売日にCDを購入した。MVとメイキングを見ると彼らの可愛さがぎゅっと詰まっていて更に『山田涼介くん』の沼に嵌っていくことになる。
それから約2ヶ月後の9月24日、HEY!HEY!HEY!の生放送を見ているとなんとジャニーズから新しいグループがデビューするとの発表があり、そこで発表されたのが「Hey!Say!JUMP」であった。「Hey!Say!7」として既にデビューしていた5人に加え更に5人追加され10人組の大きなグループになっていた。語弊を恐れずに言うと当時は祝福されなかったグループかもしれない。だがわたしは大好きな『山田涼介くん』の初々しい笑顔を画面で見て応援していきたい。と思ったのである。
そこでわたしは『Hey!Say!JUMPの山田涼介くん』担当になった。
地方に住んでいた私はあまりコンサートには行ったことがなく、デビューコンサートを行なった東京ドームにも出向かうことはなかった。後日、朝の情報番組や雑誌でデビューコンサートの様子を知ることになる。
シングルが発売されるたびにCDを買い、雑誌を買い、音楽番組で歌っている彼らを見て、当時ドラマに引っ張りだこだった山田涼介くんを見て、応援していた。俗に言う茶の間ファンである。
そんな私に転機が訪れた。
2009年3月。Hey!Say!7が初の単独コンサートを行なった。私は初めて生の『山田涼介くん』を見ることができた。人生で初めてのコンサートはこのHey!Say!7だったのだ。
そんな高校時代、放課後教室で友達と話していたところに中学時代部活の試合で顔見知りだった彼女と再会する。それが今の相方である。
違う中学だったので中学時代には話したことはなかったが、高校生になってその時に初めて会話をした。お互い山田担であることを知り、そこから意気投合。クラスは違えど、休み時間になるとお互いの教室に行き山田くんの話に花を咲かせていた。
そんな相方と同年5月のHey!Say!JUMPのコンサートに行き、生で見る『山田涼介くん』のキラキラしている姿を見てさらに釘付けになった。
数年経った2011年3月11日。高校を3月1日に卒業した私は自宅でパソコンを開きNEWSやHey!Say!JUMPの動画を見たり雑誌を見たりいつもと変わらない平凡な一日を過ごしていた。
幸い家族は皆無事であった。
その時にまで考えてしまうのは大好きな山田くんや増田くんのこと。
数ヶ月後のミュージックステーションには「NYC」が登場し、緊張した面持ちで「勇気100%」を歌っている山田くんを見て涙した。
その春、私は保育士を目指して短大生になった。
梅雨の時期、Hey!Say!JUMPのメンバーだった森本龍太郎くんが無期限活動休止。Hey!Say!JUMPは9人体制で活動することになった。初めて公の場に9人で出たのは「SUMMARY2011」で記者会見であった。JUMPは一連の出来事について深々とお辞儀をして謝罪をしていた。初日の終盤には涙を流しながら歌うメンバーの姿もあった。
そしてその秋10月7日、『NEWS』は山下智久くん錦戸亮くんの脱退を発表した。当時の私は正直山田くんで頭がいっぱいでNEWSのことは情弱だったのだが、もうNEWSというグループを見ることが出来ないのではないかという悲しみはあった。何せ私は6人のNEWSが一番大好きだったのだ。
その年のジャニーズカウントダウンコンサートで『新生NEWS』として紹介された、小山慶一郎くん加藤シゲアキくん増田貴久くん手越祐也くんを見て、なんだNEWSは無くなってない生まれ変わったんだ。と感じ嬉しくなった。大好きだったNEWSが形は違うけどまた見れるんだって。
後にその『新生NEWS』は2012年8月に秩父宮ラグビー場で復活コンサートをすることになる。わたしは当時そのコンサートには行けていないのだが、後に発売されたDVDを購入し、当時の彼らがNEWSに対する想い、コンサートに掛ける熱量に圧倒したのを覚えている。そして、6人の時にメンバーで作詞した「Share」という曲を涙ながらに肩を抱きながら歌っている4人の姿を見てとても感動した。
どの時代のNEWSも好きだったが4人のNEWSがより好きになり応援していきたいと強く思ったのだ。
翌年2012年は新年コンサートアジアツアーと沢山のコンサートを開催したHey!Say!JUMP。地方住みながら開催する度に足を運んで山田くんの姿を見に行っていた。
2013年1月9日には自身の主演ドラマ「金田一少年の事件簿 香港九龍財宝殺人事件」の主題歌であった「ミステリーヴァージン」を自身初のソロデビューとして発売した。メンバーが大好きな山田くんはMVのメイキングでメンバーの名前を呼び一人一人の良いところを語っていたのが印象的である。そしてその時期にはHey!Say!JUMPが初座長を務めた舞台「Johnny's World」が上演されていて3ヶ月のロングラン公演を無事に成功させ、グループとして一つの壁を皆で乗り越えていた。そんなHey!Say!JUMPの姿を見て、これからをもっと見ていきたい付いていきたいと強く思ったのだ。
2013年4月、私は上京して夢だった保育士になる。何もかもが初めての毎日に右往左往していたが、何よりも支えになったのがHey!Say!JUMPとNEWSの存在だった。
2013年7月、NEWSは2回目の秩父宮ラグビー場でのコンサートを開催した。NEWSのコンサートに行くのはこれが初めてだった。運良くNEWS皆の顔が良く見える席で心から楽しんでる4人を見て私も心からコンサートを楽しめた。
コンサート中盤小山くんのソロ曲から突然の雨、後に豪雨になり、メンバー全員が衣装のままステージに上がり、本人達からこのままの公演続行は不可能。明日同じ時刻にまたコンサートをします。との発表があった。
絶対に悔しいのに悔しい顔一つ見せずにファンに暖かい言葉を掛けて見送る。過呼吸を起こしているファンを見つけるとスタッフを呼んで助けるNEWSのメンバー。
こんなアイドルの姿を見るのは初めてだった。驚きと感動をしつつ、私もびしょ濡れになりながら帰宅し次の日の同じ時間にまたNEWSに会いに行った。
天候がとても心配だったが、コンサートは大成功。最後の花火を見上げるNEWSの顔は安堵の表情に包まれていて、私たちファンも皆同じ気持ちだっただろう。まさにNEWSとファンが一体化した空間だった。
同年9月7日には東京ドームで結成10周年記念イベント「NEWS 10th Anniversary」が開催された。コンサート中盤にはNEWSにサプライズでファンがHappy Birthdayを歌い、アンコールでは入場時に配布されたNEWSのメンバーカラーのペンライトを振り、NEWS結成10周年をお祝いした。そんなNEWSからもメンバーカラーのラバーブレスがプレゼントされ、ファンの皆へプレゼント企画などが用意されるなど暖かい空間に包まれていた。もちろん初めて記念ライブというものに参加したので幸せな気持ちとおめでとうという気持ちが溢れて目の前にいるNEWSが更に愛おしくなった。
ツアー中にメンバーが歌詞を考えた「愛言葉」という名曲も発表された。歌詞一つ一つに熱い想いが込められていて感激して一瞬で大好きな曲になった。
とまあ、NEWSについて語ってしまったが…
そんな経験もあり、私は4人のNEWSが大好きで何よりもその中で可愛い笑顔を振りまき優しい歌声ユーモアなMCを繰り広げる『増田貴久くん』から目が離せなくなった。
2014年3月には初めてテゴマスのコンサートに行った。テゴマスというNEWSとはまた違う方向性のアーティスト、手越くん増田くんの奏でるハーモニーに酔いしれ、マイクを通さずにアカペラで歌った「青いベンチ」にとても感動した。テゴマスは歌詞が深いものが多く、当時仕事で悩んでいた私は「ヒカリ」の歌詞に心打たれ、増田くんがコンサートの最後に放った言葉に勇気をもらった。
それが、
何年経っても色褪せないような大事な大事な一日にしよう。もう二度と同じ日は来ないから
もうすぐ今日という日も終わる
明日への道が開いていく
である。
この3月に1年間お世話になった職場を退職し、新たな場所へ向かう勇気をテゴマスに貰った気がして、私にとって「ヒカリ」は応援歌のようになっていた。4月下旬からは今の職場でもある新たな場所でまた保育士として働くことになった。
その年の夏、山田涼介くんが主演を務めた「金田一少年の事件簿N」の第三話第四話にゲストとして増田くんが出演することになって、そこで増田くんに対する熱量も今まで以上に高まっていった。そして大好きな二人が共演することが心の底から嬉しかった。
それをきっかけにHey!Say!JUMPとNEWSの共演も増え、年明けのCDTVでは二つのグループでメドレーという共演も果たした。
私にとっては素晴らしい2015年の幕開けであり、大きな区切りになったと言っても過言ではない。
そして2015年1月7日に発売されたNEWSの新曲「KAGUYA」からアルバム「White」発売の発表。それを引っさげてのツアー開催の発表。と今年が始まってから去年溜めていたフラストレーションを放出させるかのように活躍するNEWS。
山田涼介くん主演映画「暗殺教室」の公開。そして大ヒット。さらには続編決定。グループとしては甘ふわな新曲発売。夏にはツアー開催。24時間テレビ。個人のドラマ舞台出演。と今年も駆け抜けるように活躍するJUMP。
今年も飛躍的な活躍を見せる二つのグループを同時に同じ熱量で応援したいと強く思ったのである。
この機会にはっきりとさせたい。私は『山田涼介担当』であるが『増田貴久担当』でもある。と…
山田くんに関してはJr.時代から見ていたので全ての活動を見守ってきた自信はあるのだが、増田くんに関してはHey!Say!JUMPがデビューしてから山田くんにまっしぐらで増田くんを見ていない時期もあったので、今は私の知らない増田くんを沢山吸収してその知らない間を埋めている途中である。
こんなに偉そうに言ってNEWS担の方に申し訳ないが私は増田くんを担当という形でこれからは見ていきたいと思う。
『山田涼介くん』『増田貴久くん』
この二人こそ私が作られた源である。二人の存在を知らなかったら好きになっていなかったら今の私もいない。そして今私に関わってくださる全ての方にも出会えていないだろう。そんな二人にはとっても感謝している。
これからも二人にはもっともっと大きくなってほしいしその姿をこの目で見ていきたい。そして会いに行きたい。
私の原点である『櫻井翔くん』は今も変わらずに好きで彼の存在にはとても感謝している。今は簡単には手が届かない存在になってしまっているが私は変わらずに応援していきたい。
担降りブログと書いたが、ここから担降りをすることはこれから先ないとはっきりと言える。
それによくよく考えてみれば、担降りなんかしていないじゃないかって。増田担はあの当時から降りていないし、増田担と山田担という二足の草鞋を気づいたら十数年は履いていて未だにその草鞋を壊さずに今も履いているじゃないかって。
二人の存在はどちらも私から消えてはいけない存在である。私はこれからもこの大好きな『山田涼介くん』と『増田貴久くん』を見守って行きたい。
なんか二つのグループの大年表みたいになってしまったところもありましたが初めてなりに頑張りました。相変わらず語彙力のない長ったらしい文章になりましたが読んでいただきありがとうございました。 あさみ